☆新着☆『あの人も渋高だったー』No.15  中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」館長 山口通喜(やまぐちみちよし)さん(昭和50年卒) 

☆新着☆『あの人も渋高だったー』No.15  中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」館長 山口通喜(やまぐちみちよし)さん(昭和50年卒) 

今回ご紹介するOBは、真田忍者や木曽義仲落人伝説など、埋もれた郷土の歴史を独自の視点で展示プロデュースされている中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」館長の山口通喜さんです。

      筆者近影(2025年) ミュゼ教育資料室にて

 皆さんこんにちは。山口通喜と申します。

 最初に自己紹介をさせていただきます。私の実家は吾妻郡中之条町にある印刷所でした。
 姉3人兄1人の5人兄弟の末っ子として昭和31年に生まれました。渋高を昭和50年に卒業しました。先月渋川市長になられた星名建市君とは一年生の時に同じクラスでした。
 55歳の時に30年勤務したパナソニック社を早期定年退職しました。「第二の人生」として、新しいことにチャレンジしたかったからです。 
 長い間横浜市に住んでいましたが、県外に居ると却って故郷の魅力が見えてくるものです。そんなわけで、地元の博物館で地域おこしのお手伝いをしたいと思うようになりました。
 不思議な縁と運にも恵まれて、60歳から中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の館長として勤務しています。早いもので今年が10年目になります。

渋高時代はどんな学生でしたか

   渋高マラソン大会(1974年) 筆者は右端

 一年生の時、昭和47年6月頃だったと思いますが、バスケットボール部に途中入部しました。

 もともと中学校でもバスケ部だったのですが、補欠だったこともあって、渋高生のレベルに全くついて行けず、わずか1週間で退部するという苦い思い出があります。

 その後、同じクラスの村山君と渡辺君が「新しくできた古文書研究会が面白いから来ないか」と誘ってくれました。古文の先生が顧問をしてくださったと記憶しています。はじめは順調だったのですが、江戸時代の崩し字を読みこなすほどには上達せず、そこも半年しか続きませんでした。

 渋高には下駄ばきで、粋がって電車通学していました。
 クラスメートは個性的な友だちが多くて、青春時代をそれなりに楽しんでいたと思います。

定年後に博物館の仕事に就かれたきっかけは何ですか

   マカオ通信機器新製品発表会(1991年)筆者中央

 渋高時代に古文書に触れたことが、歴史博物館で働くきっかけになっているのかもしれません。

 渋高卒業後に東京外国語大学の中国語学科に進んだのも、中国は五千年の歴史がある国で面白そうだと思ったのが理由のひとつでした。

 パナソニックでは海外営業や商品企画などを担当し、欧米・アジアの約40ヵ国に出張しましたが、休日があれば博物館や史跡などを訪れて各国の歴史文化にひたることを楽しみにしていました。

 50歳で大阪に単身赴任した時は創業者の松下幸之助さんの生誕地や、創業の地など休日を利用して訪ね歩きました。

 退職後、四万温泉の旅館に住込みで2年間働いたことがあります。そこでは下足番から始まって、おもてなしのイロハを学ぶ一方で、宿泊客向けに歴史ツアーを開くなどして、歴史つながりの仕事を積極的に取り入れていました。

 縁あって2016年から館長となり、吾妻郡に伝わる真田忍者をはじめ、源頼朝や木曽義仲の落人伝説など、歴史学の世界では取り扱いにくい分野の企画展などに挑んでいます。

 実は父・山口武夫は旧制渋川中学(現在の渋高の前身)卒業の先輩です。

 印刷業をやりながら郷土史研究を続け、66歳の時に資料館(現在の博物館「ミュゼ」)を立ち上げて初代館長になりました。

 そんな父の生き方に共感していたので、30年後に同じ博物館で働くことに幸せを感じています。

読者の皆さんに伝えたいことはありますか

 今年(令和7年)11月16日(日)に中之条町ツインプラザで「高橋景作没後150周年記念高野長英展の講演会とシンポジウム」を開催します。

 2年前に渋高OBの宮崎俊弥さんと角田正衛さんのお二人が博物館に来られ、江戸時代に吾妻郡で蘭学が興隆した歴史をテーマにした展示会とイベントを開催したらどうかとのご提案をいただきました。

 高野長英の一番弟子である高橋景作家は宮﨑俊弥さんの奥様の実家でもあるので、記念講演会とシンポジウム「庶民からみた幕末のパンデミック~郷土の蘭医・高橋景作を知ろう~」を開催することになりました。

 今回のシンポジウムは、コーディネーターの宮崎俊弥さん(共愛学園前橋国際大学名誉教授)、総合司会の角田正衛さん(同志社校友会群馬県支部副支部長)、パネラー永井英明さん(国立病院機構東京病院感染センター長)、関俊明さん(嬬恋郷土資料館館長)と私が渋高OBなので、なんとシンポジウムの出演者6名中5名が渋高OBなのです。

 このように博物館「ミュゼ」は地元を中心とした大勢の関係者のご協力とご支援によって成り立っている施設です。特に今年は渋高OBの強力なサポートをいただくことができました。

 詳しくは、中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の公式ホームページをご覧いただき、是非ともこのシンポジウムに渋高関係者の皆様にもご来場いただければとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

在校生へのメッセージ

略歴

1956年 群馬県中之条町生まれ
1975年 渋川高校卒業
1981年 東京外国大学中国語学科卒業
1981年 松下電器産業(株)入社
1986年 パソニック英国特機会社駐在
1992年 中国北京松下通信設備有限公司出向(日中合弁会社)
2002年 上海コスモビック社設立交渉(華為、NEC、松下合弁会社)
2011年 パナソニック社を早期定年退職
2012年 横浜開港資料館勤務
2014年 四万温泉田村旅館勤務
2016年 中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」館長に就任
現在に至る