「あの人も渋高だったー」今回ご紹介するOBは、公認会計士・税理士として会計事務所の代表を務める傍ら、写真好きが高じて、会計事務所をアートギャラリーとして数多くの名だたるカメラマンの写真展の会場として提供されておられるなど、多方面でご活躍中の桑原清幸さん(平成2年卒)です。
皆さん、こんにちは。公認会計士・税理士の桑原清幸と申します。
私は生まれてから渋川高校を卒業するまでずっと渋川市辰巳町に住んでいましたが、大学進学を機に東京に引っ越して30年以上、会計監査や税務に関わる仕事をしてまいりました。
現在は、本業の会計分野の仕事をしながら、東京・馬喰町にて写真のギャラリーを主宰しています。僭越ながら以下、渋川に住んでいた頃の思い出や卒業後の半生についてお話させていただきます。
・生い立ち・少年時代
私は1972年に渋川市辰巳町で生まれました。現在も実家はそのまま残っており、母が一人で住んでいます。
途中数年間、金島に引っ越した時期がありましたが、それ以外はずっと辰巳町です。
父親は大工で決して裕福な家庭ではありませんでしたが、母が一生懸命働いてくれて、大学まで出してもらえたことは感謝しかありません。
幼稚園の頃から毎年渋川まつりに参加して、辰組の山車で太鼓をたたいていたので、いまもお盆に帰って渋川まつりを観るのが楽しみです。
・渋川高校時代の思い出
渋川中学校から渋川高校に進学したので、クラスに幼馴染の近所の友人が多く、中学の延長のように通っていました。
私は運動がとても苦手だったので、友達が入っていた文化部に時々遊びに行くくらいで、いわゆる帰宅部でした。大学受験は早いうちに意識していたのですが、家の事情もあって浪人は許されず、とにかく現役で受からないといけないプレッシャーが強くて、当時文化放送で流れていた旺文社のラジオ受験講座を毎日真剣に聞いて勉強していました。
当初は理系クラスに進んだのですが、物理が全く分からなくなり、途中から文系志望に変更しました。そのため文系でも数学受験ができるところを選んだ結果、経済系の学部に落ち着きました。高校の頃は、経済学には全く興味がなく、とにかく現役で受かりそうなところ探しただけでした。
・公認会計士を目指した理由
受験の結果、上智大学経済学部に合格できたので、東京で一人暮らしを始めました。
入学したのは1990年でしたが、その後バブル崩壊を経験します。私が1年生の頃は、都市銀行が大量に採用している時期で、選ばなければどこにでも就職できるような雰囲気でした。ただ、私はなんとなく普通に就職することに疑問を持っていて、父親が大工で職人だったこともあり、組織に属さずに個人でもできる仕事がしたいと思っていました。とはいえ、田舎出の貧乏学生で何のコネクションも無く、資格でも取っておけばなんとかなるか、という単純な発想で公認会計士の勉強を始めました。
公認会計士の試験は、経済学や経営学といった科目もあり、興味を持てる内容も多かったので、ハードでしたがなんとか続けることができました。
最初の受験で全く自信が無かったのですが、運良く3年生の時に合格できました。ところが、バブル崩壊で急に景気が悪くなり、私と同じ年に合格した方は半分くらいしか会計事務所に入れてもらえない有様です。受験勉強が精一杯で、就職活動は一切していなかったので、途方に暮れてしまいました。
仕方なく大学を一年留年して、会計事務所以外の就職先も探した結果、なんとかITコンサルの会社に入ることができました。
・アートギャラリー開業の契機
ITコンサルの会社で働いている間にようやく少し景気が良くなってきて、会計事務所が採用を増やしてきたので転職しました。しばらく会計士として忙しく働いていましたが、郷土愛が強かったので、勤務していた会計事務所で先輩方と一緒に群馬県人会を開催し、幅広い年代の群馬出身の会計士と交流できたことは、いまでも楽しい思い出です。
こうして会計事務所には20年間勤務していましたが、組織が大きくなりサラリーマン化してしまったので、7年前に個人で独立開業することにしました。
東京・馬喰町に事務所を借りたのですが、個人的に趣味で写真撮影やカメラ集めをしていたこともあり、個人事務所と同じスペースで、写真専門のアートギャラリーを開業することにしました。
それまで写真は素人趣味で、プロの写真家とは全く接点がなかったのですが、ギャラリー運営をきっかけにプロの写真家との接点が増えてきました。
これまで植田正治さん、大竹省二さん、立木義浩さんといった有名作家の写真展や、都築響一さんが企画した新人作家の展示など、幅広いジャンルで企画展をしてきました。
こうした場所ができたので、郷土愛をさらに高めるべく、群馬に係るイベントも開催しています。これまで、渋川出身の俳優・渋川清彦さんの主演映画を群馬県人と一緒に観る会や、群馬出身の落語家ユニット「上州事変」の4人を順にお招きする落語会などを開催しました。
その様子を上毛新聞にも掲載いただいた時は、嬉しくて実家の母に自慢しました。
・現在の仕事と将来の夢
現在は個人の会計事務所とギャラリーを運営する傍ら、上場企業の監査役として不正の防止やガバナンスの構築を推進する役割として活動しています。個人としてできることは限られていますが、これからも本業の会計・監査の分野と、偶然関わったアートの世界でも、皆さんの役に立つ仕事をしていきたいと思っています。
そして郷土愛は強くなるばかりなので、群馬に係るイベントの企画や、東京での群馬県人との交流も続けていきたいと思っています。
・在校生・同窓生へのメッセージ
私は50歳を過ぎても、いまだに試行錯誤していて、若い皆さんの参考となることは何も伝えられないのですが、群馬出身の皆さんは、とにかく真面目で信用できる方が多いと感じています。
人とのつながり、ご縁は大切にしてきたつもりですが、半生を振り返って、楽しく過ごしてこられたのは、良い方々との信頼関係を築いてこられたからだと思います。
仕事柄、どんなに優秀で偉い役員になっても、不正を働いて、株主や銀行、社会を裏切ってしまう人を幾度と見てきました。
大学生に会計や監査を教える機会もありましたが、授業の最後で伝えていたのは「Integrity」の大切さです。「Integrity」は日本語に訳しづらい単語ですが「誠実さ」「正直さ」「高潔さ」という意味です。皆さんはこれから社会に出て様々な仕事をされると思いますが、どんなに偉くなっても「Integrity」を忘れずに活躍していってください。
【略 歴】
1972年 群馬県渋川市生まれ
1990年 群馬県立渋川高校卒業
1993年 公認会計士(2次試験)合格
1995年 上智大学経済学部卒業
1995年 アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)入社
1997年 太田昭和監査法人(現EY新日本有限責任監査法人)入所
2117年 桑原清幸会計事務所開業
2118年 アートギャラリーKKAG(Kiyoyuki Kuwabara Accounting Gallery)開設
2018年 東北大学大学院経済学研究科教授
2020年 同大学任期満了により退任
2020年~上場企業の監査役など会計・監査業務に従事
現在に至る