★9月10日新着★『あの人も渋高だった―』No.8 古澤 融さん(声優・舞台俳優)

『あの人も渋高だった―』No.2 渡会裕之さん

渋高東京同窓会では今年度からの新企画として、各界でご活躍中のOBをHP上でご紹介する「あの人も渋高だった」コーナーを設けました。

第2回目となる今回ご紹介するOBは、ヴァイオリニストでもあり、現在、群馬交響楽団常務理事兼音楽主幹を務められている1983(昭和58)年卒の渡会裕之さんです。

群馬交響楽団(群響)と言えば、群馬県で小学生或いは中学生時代を過ごされた方には懐かしい「移動音楽教室」が思い浮かぶのではないでしょうか。

1955年に全国公開された草創期の群響をモデルに製作された映画「ここに泉あり」は、観客動員数が300万人を超える大ヒットとなり、日本中に、感動と共に群響と音楽の街・高崎を強く印象付けました。

映画には地元旧榛名町室田出身で、旧制前橋中(現前橋高)中退の小林桂樹も出演しています。

また、作曲家の山田耕筰や、今なお国内最高齢(100歳)のピアニストとして活動されている室井摩耶子が本人役で特別出演しています。

渡会さんにはご自身の音楽の歩みや渋高時代の思い出、群響での活動などを語っていただきました。

・音楽の歩み(音楽家への道)

― 生れは東京都府中市です。4歳からヴァイオリンを始めましたが、父は新聞記者、母は専業主婦という、一般家庭に育ちました。

父の転勤で福島県郡山市の近く、須賀川市内の小学校に入り、ヴァイオリンは京都市交響楽団元コンサートマスターの渡邊穣さんのお父様の指導を受けました。

この頃から心の中に将来は音楽の道に進もうとの強い願望が芽生え、小学校の文集にも『将来はプロのヴァイオリニストになりたい』と未来の夢を書き記しました。

中学入学時に父が中之条町に転勤となり、家族で中之条に転居し、中之条町立第一中を卒業後、1980(昭和55)年に渋川高校に入学しました。高校2年生の時に父の渋川への異動に伴い、渋川女子高の近くに引っ越しました。

    中学・高校時代は毎週日曜日に高崎まで電車に揺られながらレッスンに通っていました。
当時師事していた先生は、初代の群響のコンサートマスターを務められた風岡裕先生でした。
プロを目指すのであればピアノもしっかり勉強しておかなければいけないとの風岡先生からのアドバイスに従い、日曜日のレッスンは、ヴァイオリンとピアノの掛け持ちで大変でした。
風岡先生のお勧めもあり、大学は自由な雰囲気のある国立音楽大学を受験することになりました。

・渋川高校時代の思い出

― 渋高在学中は音楽関連のクラブ・サークルには所属せず、プロの音楽家になるために先生について個人レッスンを受けていました。
ただ、当時の音楽の教師であった湯本捷三先生には色々と目を掛けていただき、音楽の授業時間にクラスメイトの前でヴァイオリンの独奏をしたり、文化祭では湯本先生のピアノ伴奏でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏したことがありました。
また、群馬県高等学校文化連盟高校芸術祭音楽部門(高校芸術祭)には、渋高代表というような感じで参加させて頂いたこともあります。

・群響での活躍

― 国立音大を1987年3月に卒業し、その年の10月に群響のオーディションがありました。
運よく合格し(30名の応募があり、合格者は2名)、12月1日付けで入団することになり、晴れてプロの音楽家の仲間入りをしました。

卒業後の進路についても風岡先生からの「東京のオーケストラもいいが、今、群響では将来のために優秀な若手を募っている、群響でやってみないか」の言葉が後押しとなっている気がします。実は、風岡先生の息子さんの風岡優さんが当時群響のコンサートマスターをされており、親子二代に亘るご縁も感じ、入団を決意しました。

群響では第一ヴァイオリン担当一筋でした。
3年前の2018年4月、「今後、群響が飛躍していくためには、事務局に知識とキャリアと共に豊かな音楽性を有し、事務局と団員の橋渡しとなる人材が必要」との当時の専務理事の英断により、常務理事兼音楽主幹というポストが新設されました。

選考にあたっては、群響の歴史、群馬の地域事情に通じている点が重要視されたようです。
群響の団員は約60名おりますが、群馬県出身者は私を含めて2名といった状況で、大多数が国外を含めた県外出身者で占められています。群馬県で中学、高校時代を過ごしたことが考慮されたこともあって、私が指名されたのではないかと思っております。

常務理事兼音楽主幹のメイン業務は、何といっても毎月の定期演奏会の構成・プログラムを考えることです。指揮者やソリストには誰を招聘し、演奏曲目は何にするか等。オーケストラとしての進化・発展を視野に入れつつ、経営にも直結する集客とのバランス等に配慮したプログラム作りに悩める毎日を送っています。

・今後の夢

― これまで群響の楽団員として長い間音楽に携わって来ましたが、これまでの人生を振り返り、今後の生き方を考えなければならない時期になったと感じています。
演奏家の原点に立ち返り、群馬・高崎を拠点に、未来を切り拓く子どもたちに「音楽の楽しさ」を伝える仕事をしたいと考えています。

 

在校生・同窓生へのメッセージ

― 「渡会さんは好きなことが職業でいいですね」と言われることがあります。

幼い頃から音楽が大好きな自分が希望通りプロの演奏者になれたことは、両親の理解や良き指導者に恵まれたお陰だと思っています。

指導者からは、出来ないことは、頭を働かせ、諦めないで工夫してみなさいとよく言われました。夢が叶うということは、努力の積み重ねが実を結ぶということだと思います。

昨秋の渋高創立100周年記念式典では講師を依頼されておりましたが(新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止)、その席上でも、何をするにしてもどの職業に就くにしても、出来ないことを出来るように日々努力することの大切さについてお話しようと思っておりました。

【渡会裕之さんの略歴】

1964年東京都府中市生まれ
1980年中之条町立第一中学校卒業
1983年群馬県立渋川高校卒業
1983年国立音楽大学入学
1987年国立音楽大学卒業(最優秀男子学生に贈られる矢田部賞を受賞)
1987年群馬交響楽団入団(第一バイオリン)
2018年群馬交響楽団常務理事兼音楽主幹に就任
現在に至る