★9月10日新着★『あの人も渋高だった―』No.8 古澤 融さん(声優・舞台俳優)

『あの人も渋高だった―』No.3 鈴木惇司さん

鈴木さんは吉岡中で本格的に長距離走を始め、渋高では陸上部に所属しておりました。
青山学院大へは一般入試で入学し(理工学部 情報テクノロジー学科)、陸上部へ入部。
全国から名だたる高校ランナーが顔を揃える中で、学業との両立を図りながら、競技生活を続けました。そして、厳しい練習にも耐え、箱根駅伝への出場切符を勝ち取りました。

2010年1月、3年生の時、第86回箱根駅伝で、10区アンカーとして出場し、9位で襷を受け、前を行く明治大学を抜き去り8位でゴール。青山学院大41年振りのシード権獲得に貢献しました。
実は2年生と4年生の時にもエントリーされたものの、残念ながら出場機会には恵まれませんでした。
強豪校青山学院大にあって鈴木さんは唯一の一般入試組からの箱根駅伝のランナーでした。これは快挙ともいえる素晴らしいことだと思います。

鈴木さんには陸上選手としての歩みや箱根駅伝の思い出などを語っていただきました。

・陸上選手としての歩み(箱根駅伝への道)

― 小学校時代(吉岡町立明治小学校)は陸上部に所属していたものの走ることに対してはあまり積極的に取り組んでいませんでした。

吉岡中に入り、バスケ部に所属しておりましたが、夏に駅伝部を編成し、3年生の夏から駅伝を始めました。陸上部顧問の田中光先生の指導により走ることに芽生え、走る楽しさを学んだ気がします。田中先生は中学校教諭でありながら、日本初の棒高跳び室内練習場を運営されており、オリンピック選手も指導を仰ぐ日本棒高跳び界の名監督でもあります。

3年生の時には千葉県で開催された第11回全国中学校駅伝大会に群馬県代表として出場し、13位の成績を収めました。当時のメンバーで渋高に入学したのは私だけですが、彼等との付き合いは今でも続いています。

・渋川高校時代の思い出

― 渋高では陸上部(長距離)に籍を置きました。当時陸上部の部員は少なく、春から秋にかけてはスキー部のメンバーとも一緒に練習しておりました。

大学受験が迫る中、3年生の11月下旬に千葉県で開催された関東高校駅伝大会には群馬県代表校6校に選ばれましたが、残念ながら成績は芳しくなかったです。

大学進学では国公立大を目指しておりましたが、部活動に時間を取られ準備不足もあり、第一志望の千葉大にはご縁に恵まれず、振られました。

調布市にある電気通信大には合格したのですが、滑り止めとして受けた青山学院大とどちらに入学しようか迷っていたところ、母親からの「青学の方がカッコいい」との言葉が決め手となり(笑)青学に進むことにしました。

自分としては陸上競技は高校までで区切りをつけ、大学では別のことにチャレンジしたいと考えていましたが、当時の渋高陸上部顧問の西山昇先生から、せっかく名門の青学に入るのだから陸上を続けてみなさいと後押しされたことと、高校3年生時の箱根駅伝の関東学連選抜のアンカーが青学の選手でその姿に感銘を受けたことが重なり、入学後直ぐに陸上部(長距離ブロック)の門を叩きました。

・青山学院大での挫折と栄光

―入学後間もなくのゴールデンウイークの時の練習が一番きつかったですね。

全体練習がスタートし、僅か500m程度走った所で情けないことですが他のメンバーについていけず、道端に崩れ落ちました。レベルの違いを痛感すると共に、こんな状態でこれから続けて行けるか不安に駆られましたが、陸上競技を辞めようとは思いませんでした。何とか歯を食いしばって頑張りました。
青学での4年間は町田市の寮で過ごしました。寮母は原監督の奥さんです。
理工学部のキャンパスは渋谷ではなく相模原にあり、寮からは比較的近くでした。

3年生の時の2010年1月3日、第86回箱根駅伝で最終区の10区を走りました。
自分は復路向きと思っていたので、ゴールテープを切りたいとアンカーを自ら志願しました。
後日、原監督に10区起用の理由をお尋ねしたところ、あの時は10区はお前しかいないと思っていたとの言葉が返って来ました。

9位で襷を受けましたが、10位との差が3~4分あったので、自分としては十分逃げ切れるとの精神的余裕がありました。
周囲の心配をよそに、プレッシャーを感じないで、むしろ楽しく完走出来ました。
都内に入って沿道の大観衆の声援を受け乍ら走るのはランナー冥利に尽きますね。
父親は青学2年生の6月に既に亡くなっていましたが、どこかで「頑張れよ」と自分の背中を押してくれているような気がしました。

恩師 原晋監督と

翌年の4年生の時もエントリーされ、有終の美を飾りたかったのですが、大会直前のエントリー変更で出番は巡って来ませんでした。ただ、原監督体制の青学陸上部の歴史の中で、一般入試組で箱根を走ったのは自分しかいないことに誇りを持っています。

 

 

 


・近況

― 青学卒業後、大手食品会社で勤務後、起業し、現在は物品販売の会社(株式会社みどりまん)を経営しています。「みどりまん」のみどりは青学のスクールカラーに由来しています。
今は走ってはいません。

マラソン大会に出場する機会もありませんが、青学陸上部の仲間との交流は公私に亘って続いています。

在校生・同窓生へのメッセージ

鈴木惇司さんの近況

― 大学受験でも、就職においても希望通りにはいかないのが現実ですが、与えられた所で最大限のパフォーマンスを発揮することが大事なことだと思います。
もし、千葉大に入学していたら箱根駅伝のランナーになることは叶わなかったことです。
不本意な境地に陥っても、腐らず、諦めらず、コツコツと地道な努力を続けることで道が開けるような気がします。
「甲のように一番のものも良いけれども、二番目の乙もなかなか良いものだよ」という「乙な生き方」が自分に合っているし、素敵な生き方だと思っています。

以上

【鈴木惇司さんの略歴】

1989年 吉岡町生まれ
2004年3月 吉岡中学校卒業
2007年3月 群馬県立渋川高校卒業
2007年4月 青山学院大学入学
2010年1月 第86回箱根駅伝出場
2011年3月 青山学院大学卒業
大手食品会社勤務を経て起業、現在に至る
兵庫県宝塚市在住