「あの人も渋高だったー」に桑原清幸さん(平成2年卒:公認会計士・税理士)掲載

『あの人も渋高だった―』No.4 小林 修 さん

3年連続で雑誌写真の“MVP”

写真家、朝日新聞出版写真部長 小林修(こばやし・おさむ)さん

「この国のかたち」奈良・若草山

日本雑誌協会の写真記者会が、雑誌に掲載された数多くの写真の中からその年の最も優れた作品に贈る日本雑誌写真記者会賞最優秀賞。いわば雑誌写真の“MVP”を2017年から3年連続で受賞した写真家がいます。渋高1985年卒の小林修さんです。現在、朝日新聞出版写真部長。雑誌「週刊朝日」の人気連載「司馬遼太郎シリーズ」で、『街道をゆく』をはじめとした司馬作品の世界を鮮やかな写真でたどった写真の数々が高い評価を受けました。現代の雑誌メディアを代表するカメラマンの小林さんに、写真との出会いや仕事の醍醐味を伺いました。

・渋高時代どんな学生でしたか。また、印象に残る出来事は?

― どちらかというと、のほほんとした高校生でした。兄の影響で物理部に所属しましたが、実験台で卓球をして遊んでいるような部員でした。そんな中で、一年に一回、アマチュア無線コンテストがあり、真夜中の校舎で物理部員だけで沖縄とか北海道とかの未知の人とコンタクトを取って、とても高揚したことが記憶にあります。

「モンゴル紀行」モンゴルの祭り「ナーダム」

それから、2021年には渋高野球部が夏の県大会で38年ぶりにベスト8に進出して話題になりましたが、その38年前に渋高の2年生でした。当時、もしかしたら母校が甲子園に出られるかもしれないと、友達と敷島公園の野球場まで自転車で駆けつけました。幼なじみが野球部にいて、最終バッターとして代打で登場したのですが、ゴロで打ち取られ、涙が出てきたのを思い出します。

・渋高時代、写真とのかかわりは?

―全くなかったですね。当時は、写真部というと暗いイメージしかありませんでしたから、入ろうという気はさらさらありませんでした。

・それが、カメラマンの仕事についたのはどんな経緯だったのですか?

― 高校時代、英語だけはわりと成績がよかったので、立教大学英米文学科に進みました。当時はバブルの全盛期で、広告代理店的なものに興味があったので、サークルは広告研究会に入りました。ディスコなどが盛んで、イベントを企画するのが流行っていた時代でした。学園祭ではいろんな企業からおカネをもらってミス立教コンテストとかを開催したりして、どちらかというとチャラチャラした活動をやっていました。

ですが、そういうことをやっていく中で、何かもっと自分を表現できることはないか、という思いが湧いてきて、3年生の頃、友達の影響もあって写真を始めました。それから、カメラ片手に四十日間、中国大陸を放浪しました。当時、急速に近代化がすすみ活気に満ちた中国の記憶を形に残したいという思いからでした。それが仲間にも評判が良くて、「いけるかな」と手ごたえを感じました。

 ただ、その頃、写真を生業(なりわい)にするという確固たるものがあったわけではありません。就活ではいろいろな選択肢を考えました。文学部だったので教員資格も目指しましたし、実家が酒屋だったのでビール会社とかも受けたのですが、たまたま、朝日新聞を受けたら採用になりました。

・朝日新聞ではどんな仕事を手掛けたのですか?

―入社後は出版局の写真部に配属になり、「アサヒグラフ」や「週刊朝日」の写真を担当しました。職場は、ベトナム戦争の写真報道で名をはせた石川文洋さんをはじめとした名カメラマンを育てた歴史と伝統のある“職人集団”でした。指導は厳しく、今ではあり得ませんが、ビンタを食らったこともあります。その後、オリンピックではシドニー、アテネ、北京と3回にわたって取材したり、雑誌の表紙を飾るアイドルの撮影を担当したり、いろいろな写真を手がけました。

「湖西のみち」滋賀県・白鬚神社

 そんな中、2006年に週刊朝日で、司馬遼太郎没後10年を期に、司馬さんの足跡をたどる大型企画がスタートすることになり、その写真を担当することになりました。企画は現在も続いていて、写真は私が担当しています。司馬さんの代表作のひとつ『街道をゆく』は、1971年から25年間にわたって週刊朝日に連載されました。私は、司馬作品では、歴史小説よりも旅の要素があって日本人の本質を探る作品である『街道をゆく』を良く読んでいました。その頃、芸能人取材とかにちょっと飽きていた時で、このシリーズなら骨太な写真が取れそうだ、やりたい仕事に巡り合えたとラッキーな思いでした。
ただ、撮影は簡単ではありませんでした。司馬さん自身が作品の中で、自分が旅してみると思い描いた風景は消え去っている、と書いていますが、さらにその後、何十年もたって、その跡をたどるわけですからなおさらです。現場に出向いても、思い描く風景にすぐに出会えるわけではありません。かすかに残る歴史の痕跡を探して、それを写真にするのですが、そうした痕跡は土地の人が暮らしている中にかすかに残っていたりします。出張に行った先で、一日500キロくらいレンタカーで走り回ったこともあります。そうして、想像もしなかった風景に出会って撮影できた時、思わず「よっしゃー」という気分になりますね。

・これからの目標は何ですか?

―「司馬遼太郎シリーズ」の作品は、2019年に東京・六本木で「司馬遼太郎『街道をゆく』の視点 歩いた風土、見抜いた視点」と題した個展を開催してもらいました。また、それらの作品は『司馬遼太郎「街道をゆく」の視点』という写真集として出版しました。

「翔ぶが如く」東京

2022年は「富士フイルムフォトサロン大阪」でこの企画写真展を開く予定です(4月22日~5月11日)。それと愛媛県松山市の「坂の上の雲ミュージアム」で、『坂の上の雲』に特化した作品を集めた展覧会を10月に開く予定です。翌2023年は、司馬さんの生誕100年の年でもあり、そのタイミングで写真集として刊行出来たら、と考えています。

 

・最後に在校生へのメッセージをお願いします。

―新入社員面接とかをやっていると、いまの若い人は結構よく考えていて、僕らの時より余程しっかりしているなと思います。私の方がアドバイスをもらいたいくらいで、語らいの場があるといいですね。高校時代は好きなものを見つけるための猶予期間でもあるので、いろんなことに挑戦して、本当に自分が好きなものを見つけてほしいと思います。

(写真の道を目指す人には)いまスマホが普及して一億総カメラマン時代ともいわれ、世界中の写真が入ってくる時代です。なので、ただ行動して撮るだけではなく、きちんと自分の考えを整理したうえで撮影していってほしいと思います。

 【小林修さんの略歴と著作】

■略歴    

1966年群馬県渋川市生まれ
1982年群馬市立渋川北中卒業
1985年群馬県立渋川高校卒業
1986年立教大学英米文学科入学
1990年朝日新聞社入社、出版写真部に配属
2016年~現在 朝日新聞出版写真部長

■著作
写真集『司馬遼太郎「街道をゆく」の視点』(朝日新聞出版)

ー週刊朝日ムック「週刊司馬遼太郎1-9」「司馬遼太郎の言葉1-3」「司馬遼太郎と宗教」「司馬遼太郎と戦国」ほかー

【写真集発売中】

小林修さんの写真集『司馬遼太郎「街道をゆく」の視点』は書店にて発売中です。在庫が無い場合にはお取り寄せとなります。
 定価:本体3200円+税
 判型:A4判変型・192ページ
 ISBN:978-4-02-331847-2
 発行:朝日新聞出版
 ※Amazon等でも購入可です。

【写真展の開催】

小林修さんの写真展「司馬遼太郎『街道をゆく』の視点 歩いた風土、見抜いた時代」は2022年4月22日(金)〜5月11日(水)に富士フイルムフォトサロン 大阪で開催されます(入場料無料)
お近くにお住まいの方は是非会場に足をお運びください。

【写真展所在地】

〒541-0053 大阪市中央区本町t2-5-7
メットライフ本町スクエア (旧 大阪丸紅ビル) 1F
TEL 06-6205-8000
(受付時間:平日10:00〜18:00)

■最寄り駅
 地下鉄御堂筋線「本町」駅下車 3番出口から本町通りに沿って 東へ約5分
 地下鉄堺筋線「堺筋本町」駅下車 17番出口から本町通りに沿って 西へ約3分