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『あの人も渋高だった―』No.5 平方彰さんの紹介

平方彰さん

今回ご紹介するOBは、1984年に電通に入社後、1989年にスポーツ文化事業局でスポーツ担当となり、1996年から野球を担当し、日米野球、MLBの日本開幕戦などのビッグプロジェクトに尽力し、2009年に行われた第二回WBCでは、『SAMURAI JAPAN』という野球日本代表のネーミングを考案し、世に広く定着させ、現在一般社団法人日本eスポーツ連合理事の1980(昭和55)年卒の平方彰さんです。

平方さんにはご自身の仕事の歩み、渋高時代の思い出、ご自身の実績等を語って頂きました。

・ご自分の仕事の歩み/この職業に就いた経緯

俳優トム・クルーズさんと

大学卒業するまでスポーツ一本で22年間過ごしてきて、教職に就くという気持ちもありましたが丁度前年に群馬国体が開催され体育科の採用は狭き門となり免許は取得しましたが帰省するのではなく東京で就職と考え、マスコミ志望と決意し運良く第一志望の株式会社電通に内定を貰いました。

 ・渋川高校時代の思い出

カンニング竹山さんと

もう目立ちたがり屋で何でもやった!やり通した!っていう高校生活を送る。

基本、陸上部に席を置き短距離走を専門として1978年の福島インターハイの4×100mリレーの第一走者として全国2位の記録を樹立。(まだ渋高記録だと思うのですが…)またバンド活動や生徒会役員にも従事しました。

ホントめちゃくちゃハジけていました。

・ご自分の仕事の実績・活躍

プロボクサー村田諒太さんと

1984年に電通に入社後、1989年にスポーツ文化事業局でスポーツ担当となり、1996年から野球を担当し、日米野球、MLBの日本開幕戦などのビッグプロジェクトに尽力しました。2009年に行われた第二回WBCでは、『SAMURAI JAPAN』という野球日本代表のネーミングを考案し、世に広く定着させました。また2007大阪世界陸上招致の成功や現東京マラソンの基盤作り・開催を行いました。選手契約(石川遼、羽生結弦、村田諒太ほか)マーチャンダイジングなどを手掛けました。

現在、eスポーツをオリンピックの正式種目にさせるべく、eスポーツ連合を日本アンチドーピング機構に加盟させたり、JOCやJSPOと交渉に励んでいます。何とか2028年ロスオリンピック採用を目指しています。

また住居の地元お台場のボランティア活動でお台場の街をもっと住み良い街にするべく活動中です。一応、お台場地区防災協議会の会長を14年間もやっているとの事です。

在校生・同窓生へのメッセージ

阪神T・元監督 金本 知憲さんと

正直、最近聴こえてくる渋高の評判はあまりイイ話しが聞こえてこなくて残念ですが【渋高魂】は変わらず活きている事と信じています。

堅忍持久・質実剛健。

【渋高魂】は不滅です。

離れていて、大した事もできませんが私は渋高を卒業して良かったと思っていますし同窓生も皆んな誇りにしていると思います。

是非とも在校生のみなさんには充実した渋高時代を思いっきりenjoy して過ごして頂き、後悔しない高校生活を送って欲しいと思います。そうすれば必然的に悪い話しも吹き飛ばし、名門渋高!の名声が響いていく事と信じています。

頑張って下さい!

【平方 彰さんの略歴】
1961年 群馬県渋川市生まれ
1977年 渋川市立渋川中学校卒業
1980年 群馬県立渋川高校卒業
1980年 早稲田大学入学
1984年 早稲田大学卒業
1984年 株式会社電通入社
2017年 早期優遇制度により電通を退職
2018年 株式会社HSBC創設
同年   一般社団法人日本eスポーツ連合設立 理事就任
現在に至る