渋高東京同窓会では今年度からの新企画として、各界でご活躍中のOBをHP上でご紹介する「あの人も渋高だった」コーナーを設けました。
トップバッターは1972(昭和47)年に僻地医療と地域医療の充実を目的に設立され自治医科大学の一期生として、現在、日本家族計画協会の会長としてご活躍の産婦人科医の北村邦夫さん(昭和44年卒)です。北村さんはピル(経口避妊薬)の承認・発売に長年苦闘して来られましたが、今後の目標は経口妊娠中絶薬の承認とのことです。【経歴と著書は別掲参照】
・高校時代の印象に残る出来事
― 美術の時間に屋上で「風景画を描け」と言われた。遥か向こうに渋川女子高校の校舎が見えるので、僕が中心になり、双眼鏡を持って「おーい、ブルマ姿が見えるぞ」と騒いでいたら職員室に連れて行かれ、正座させられ、生まれて初めて教師に叱られたのが一番の思い出。
・医師を目指した理由
― 父の兄が千葉大出身の医師で、渋川で医院を開業していたことが大きいと思う。
・元々は役者志望だった?
― 浪人時代に高崎で俳優座の「ハムレット」を観て役者に憧れ、演出家の浅利慶太に手紙を書いたら、「役者志望なら先ずは桐朋学園に入れ」との返事が来たが、入学金が高すぎて役者の夢は諦めた。
・母子家庭に育ち、三浪後に入学した自治医大での学生生活
― 入学後知り合った東京在住の彼女と遠距離恋愛の末に親族の批判をよそに2年生の時に結婚(同期初)。自治医大は全寮制なので教授会でもひと悶着あったが、結局、寮を出ることが認められ、大学近くに安アパートを借りた。
学生時代に子どもが二人生まれた。体育館で行われた卒業式では、僕の名前が読み上げられると2歳になった長男が2階から「お父さ~ん」と大きな声を掛けてくれた。
・今や時の人となった大学同期で政府のコロナ分科会の尾身茂会長との在学中のエピソード
― 昼食は妻の手作り弁当を食べていたが、尾身君にこっそり食べられることが続いた。それから弁当は止めた。尾身君は空いた弁当箱に「洋子ちゃん(妻の名)ごちそうさま」とメモを残していた。
尾身君は茶目っ気のある人で、今でも親しくお付き合いしている。【写真、右が僕】
・在校生・同窓生へのメッセージ
― 人生は「思い出作りの連続」。そして人生ドラマの脚本・監督・主演は自分自身。
辛いことや苦しいことも当然あるが、時として他人に甘えることも大事だと思う。
在校生・同窓生の皆さんには忘れられない多くの「思い出」を残して貰いたい。
インタビューの当日は父の日で、インタビュー終了後、「家族が待っているから」と家路を急ぐ姿には優しい父の顔が垣間見えました。
【北村邦夫さんの略歴と著作】
■略歴
1951年群馬県渋川市生まれ
1969年群馬県立渋川高校卒
1972年自治医大入学
1978年自治医大卒業・群馬県庁入庁・群馬大学産婦人科で臨床研修
1980年群馬県藤岡保健所予防課長
1987年群馬県前橋保健所技師長
1988年日本家族計画協会クリニック所長
1997年総理府男女共同参画審議会委員
2000年厚生省「健やか親子21」検討会委員
2005年厚生科学審議会臨時委員(感染症部会)
2009年日本思春期学会副理事長
2014年日本家族計画協会理事長
2018年~現在 日本家族計画協会会長
■著作
・現代っ子の性」(主婦と生活社)
・「ピル」(集英社新書)
・「からだにやさしいピルの本」(講談社)
・「セックス嫌いな若者たち」(メディアファクトリー新書)
・「いつからオトナ? こころ&からだ」(集英社)
・「親と教師のための性教育講座」(日本家族計画協会)
・「北村さんちのオトコの文通 お笑い芸人&産婦人科ドクター」(信濃毎日新聞社)
他多数
日経新聞夕刊の『人間発見』で紹介(追加記事)