田舎で無名に近い新制高校の校歌が時の人気作家である「佐藤春夫」と戦前から山田耕筰と共に大作曲家として名を馳せていた「信時潔」の黄金コンビの手にどのようにして委ねられたのか―。
その裏には当時の先輩方の涙ぐましい努力がありました。
難産の末に生まれた「自由の子」。同窓生の心のふるさととして末永く歌い継がれていくことを願い、今回校歌制定の経緯を皆さまにお知らせすることにしました。
※「渋高五十年史(下巻)」より画像ファイルに変換しています。又「上毛新聞社様」からはHPへの記事掲載の承認を得ております。
※校歌をお聴きになりたい方は、こちらからどうぞ 渋川高等学校校歌
校歌のない学校 (「渋高新聞」昭和26年9月1日)
校歌周辺 「榛嶺」宮本 篤 先生
「自由の子」・・・あの当時 梅山五郎先生
「心のふるさと 群馬の校歌物語」上毛新聞2010年7月21日付

2010年7月21日「上毛新聞」