『あの人も渋高だったー』No.16に吉澤悟さん(昭和62年卒)を紹介します。現在、奈良国立博物館にて学芸部長をお務めです。

★新着★『あの人も渋高だったー』第16回目となる今回ご紹介させていただく渋高同窓生は、昭和62年卒の吉澤悟さんです。吉澤さんは2004年4月に奈良国立博物館学芸課(現.学芸部)に研究員としてお入りになられ、2021年4月からは学芸部長の要職に就かれておられます。

吉澤さんは渋川市阿久津のご出身で、渋川高校から群馬大学教育学部に進まれ、ご卒業後は筑波大学大学院で考古学を学ばれました。

筑波大学大学院を修了された後、幾つかの教育機関で教鞭を執られ、2004年4月に奈良国立博物館学芸課(現.学芸部)に研究員としてお入りになられ、2021年4月からは学芸部長の要職に就かれておられます。

現在は奈良市にお住まいで、職場では多くの国宝、重要文化財に囲まれた生活を送られております。

今回は吉澤さんにご自身の半生を振り返っていただくと共に渋高同窓生に熱い思いを込めたエールを送っていただきました。

自己紹介

               著者近影

 皆さん、こんにちは。群馬を離れて36年、流れついた奈良で、鹿と仏像に囲まれて仕事をしている吉澤です。

 職場である奈良国立博物館は、東大寺と興福寺、春日大社の敷地に挟まれた場所にあります。修学旅行生は必ず通りかかる場所ですが、鹿にばかり目がゆくせいか、博物館の存在に気づく人は少ないようです。

「国立」とはいえ、職員数は約70名(そのうち約半分は非常勤職)の小さな組織ですので、そこの管理職なんてちっとも偉くありません。渋高東京同窓会のHPに紹介してもらうのも恥ずかしいくらいです。

ただ、130年の伝統をもち(日本の博物館では東京国立博物館に次いで2番目に古い)、国宝・重要文化財を日常的に取り扱い、年間30~50万人のお客さんをお迎えする施設に勤めるだけに、その責任は重く、こんな少人数で日本文化の大事な部分を支えていると思うと、ちょっとだけ誇らしくもなります。

高校時代

    高校卒業写真より

 もともとゆるい性格のせいか、深く悩むこともなく、野郎ばかりの中で気取る必要もなく、楽しい高校生活でした。

 勉強の成績は「中の上」くらい(?)、陸上部では110mハードルの選手でしたが県大会「準決勝落ち」くらいの成績でした。唯一、自慢になるかどうか分かりませんが、中学3年間と高校3年間を通して無遅刻・無欠席の皆勤賞でした(これは親に感謝)。中学卒業時にもらった皆勤賞の賞状に「あたりまえのことを、あたりまえに3年続けた、すばらしいことだ」と書かれていました。

 当時の校長の直筆だったと思います。特に気にもかけておりませんでしたが、今思えば高校時代も「あたりまえのことを、あたりまえに」する適度な優等生を続けていたのですね。

転機

大学院生時代(1994年

学生時代を通して良い先生方に恵まれたこともあり、教師になろうと決めて群馬大学教育学部に進みました(一番近い大学ですし)。合格通知をもらい、高校3年最後の長い春休みに入ったある日、人生を変えるような「事件」に出会いました。

 旧子持村に黒井峯(くろいみね)遺跡という古墳時代(6世紀半ば)の遺跡があるのですが、数日前の新聞記事に載っていたので、なにげなく発掘現場に見物に行きました。この遺跡は榛名山二ツ岳の噴火で噴出した大量の軽石によって村が埋没・全滅した遺跡です。

 2m近い軽石の堆積の下に、当時の生活がそのまま、すなわち、竪穴建物内のカマドには炊事の甕が架けられ、人が寝起きした場所は敷物の痕跡で柔らかく、家の脇には作物を育てる畑の凹凸が残り・・・1500年前の村人の息吹が感じられるほどでした。

 その遺跡のインパクトはもの凄く、さらにこれを発掘して当時の様子をありありと語る調査員の技量にも感銘、というか惚れ込んでしまいました。

 私は日本史が苦手で、年号や人名を覚えることに興味を持てなかったのですが、ここにはナマの「歴史」がある。教科書ではなく、古文書からでもなく、土器や石器、建物跡から人間の生きた歴史が復元できる。考古学を学べば、あらゆる時代、あらゆる国の歴史にもアクセスできる、そんな光明が一気に見えた気がしました。

「天の声」とはこういうものでしょうか。自分でもあきれるほどの惚れっぽさから、もう翌日からは毎日自転車で遺跡に通い、「お金はいらないから仕事を手伝わせて欲しい」と押しかける始末。

この時から自分の生きる道は考古学以外にない、考古学と心中しても構わない、と決断してしまったのです。

人生観みたいなもの

       大仏御身拭い(2024年)

 その後の苦労は壮絶で、今は多くを語りません。とにかく学問だけでは食べて行かれず、極貧生活に耐えながら、研究職を求めて今の奈良に流れ着きました。

もしパラレルワールドみたいなものがあり、別の世界に別の自分がいるとしたら、「あたりまえのことを」続ける優等生が長じて、予定調和的に学校の先生、今頃は校長(?)をやっているかもしれません。

あの時、遺跡に惚れ込んだのが人生の分岐点だったに違いありません。地元で堅実・安定した人生を送るのと、いにしえの都で文化財を相手に深夜帰りを繰り返している(いまだに)生活と、どちらが幸せなのかは分かりません。

しかし十代に聞いた「天の声」に従った半生を悔いたことはありません。自分の中に「コレ!」というのがあると、どんなメチャクチャな事態でも怖くはないのですね、不思議と。

また、「誰でも替えが利く仕事」でなく、「自分でないとできない(と思える)仕事」であれば、苦労も惜しまないものです。

 奈良の博物館という仕事柄、歴史あるお寺や神社の皆さんと仲良くお付き合いしておりますが、そこでの信頼関係から国宝・重要文化財をお借りし、展覧会を作り上げ、時には調査で世紀の大発見をすることがあります。それもこれも一朝一夕のうわべだけの関係ではなく、歴史ある信仰に敬意をもち、モノを慎重に取り扱い、こちらの熱意や誠意を受け取ってもらえる身となってはじめて実現します。過去の苦労や今の努力がここに生きていると思えば、「これでよかったのかも」と思えてしまいます。

                     大仏御身拭いメンバー(2024年)

学生の皆さんへ

      中国・新疆・クムターグ砂漠(2019年)

若いうちに「アホ」になって欲しいです(関西では「バカ」よりも、愛を込めて「アホ」)。ただの「アホ」でなく、ご自身の大義に向かい「アホ」になって進んで欲しいのです。

その先に「天の声」が聞こえるかもしれません。

「疲れることを恐れるな、疲れることなしには、値打ちのある仕事はなしとげられない」(ヴェルヌ『十五少年漂流記』)。

最近まで原本を読む機会がなかったのですが、この言葉は高校時代から何かの引用で親しんでいました。要するに「なまけるな」ということですが、「疲れを恐れる」という表現はリアルで身に沁みます。

皆さんの人生の分岐点は明日かもしれません。
大義を見つけたならば、それに向かって「疲れを恐れず」「アホ」なくらいに突き進んで欲しいです。

以上

【略 歴】

1968年6月 渋川市阿久津生まれ
1987年3月 渋川高校卒業
1987年4月 群馬大学教育学部 入学
1991年4月 筑波大学第一学群人文学類研究生
1992年4月 筑波大学大学院 歴史・人類学研究科 入学
1995年10月 筑波大学 歴史・人類学系 文部技官
1999年4月 国立歴史民俗博物館 考古研究部 COE研究員(2001年3月まで)
1999年
10月 桐朋学園短期大学部 非常勤講師(考古学)(2004年3月まで)
2002年4月 流通経済大学 非常勤講師(考古学)(2003年3月まで)
2004年4月 奈良国立博物館学芸課(現.学芸部) 研究員、資料室長、企画室長、副部長等   を歴任

2021年4月 学芸部長として現在に至る

    正倉院展の看板前で(2017年)

特別展「天馬-シルクロードを翔ける夢の馬-」(2008年)、生誕800年記念特別展「忍性-救済に捧げた生涯-」(2016年)、特別展「春日若宮国宝展」(2023年)などの主担当のほか、数多くの展覧会を主導し、毎年秋の「正倉院展」では正倉院宝物の点検責任者、同展図録の巻頭概説の執筆、金属器やガラス器の解説などを担当している。

 研究面では奈良・平安時代の墓制を主専門としつつ、国宝・東大寺金堂鎮壇具、国宝・香取神宮所蔵海獣葡萄鏡の調査、正倉院の銀壺の研究、中近世の石造物や金属製骨蔵器の調査研究などを行うほか、西アジア・シリアの新石器・鉄器時代の遺跡調査、モンゴルの土城探査、オランダ・ライデンミュージアムほか所蔵のインドネシア仏像の調査など、海外調査にも参加協力している。

                  シリアでの発掘(1992年)前列左から3人目